2013/04/08
今年も見てきました。吉高の大桜。

樹齢300年以上なんだそうな。歴史の重みを感じさせる太い幹。

 この大桜。開花期間が極端に短くて(2〜3日の間だけ)、タイミング良く行かないと「花見」にならないという、なかなか花見客泣かせな桜なんですが、それだけに、リアルタイムで「開花状況」を教えてくれるサイトがあったりして、例年はそれをチェックしたうえで出掛けるんですが、今回は敢えて、そういう事前情報は一切仕入れず、「そろそろかなぁ…」って事でドキワクしながら田舎道をテクテク歩いて行くとメデタク満開だったという、結果として咲いてる花が見れて嬉しかったのは勿論ですが、外してしまうリスク・不安があった分だけ、思った以上の感動がありました。
 小道具さえあれば何でもわかっちゃう今の世の中ですが、敢えて知らない方がいい事ってあるんだなぁと再確認した次第です。
 でも、これって釣りにも言える事なのかもしれません。知りたい事が事前にある程度わかってしまう。これは果たして釣り人にとってホントにいいことなのかどうなのか?

 まぁ天気予報だとか水位情報だとか、そりゃあ知っておいた方がいい情報ってのも勿論あると思いますが、例えば、「誰ソレが何処ソコでいい釣りした!」てな話がツブヤかれたりすると、瞬く間に誰カレがソコに大集合!したり、「コレが釣れる!」てな話が各媒体で紹介されたりすると、誰カレがソレを投げてたり…っていうのは現によくある光景だったりするワケで…。確かに情報収集ってのは釣りの楽しみ方の一部ではあるし、考え方は人それぞれだし、かく言う自分も、そういうのに頼っちゃう部分もやっぱりあったりするワケなんですが、ただ、それを最優先にしてアンテナビンビンにして情報に敏感になり過ぎるのは、果たして、釣り本来の楽しみ方としてどうなのかなぁと。
 魚が釣れるかどうか(そもそもいるかどうかすら)わからない場所で魚が釣れた時の感動。人に勧められたのではなくて、自分自身が「コレ!」と思ってチョイスしたルアーで釣れた時の感動。やっぱり「知らない方がいい」場合ってのも、今回の花見の話じゃないですが、時としてあるんではないかと。

 ネットのネの字もまだなかった小中学生時代。フィールドのリアルタイム状況なんてわからない。今は亡き釣りトップで読んだ記事と何処からか仕入れたガセ情報に妄想を膨らませながらチャリンコを漕ぎ、安物タックルにコーモ○ンのルアーを結んでエイヤと投げる。当然、滅多に釣れなかったけど、それでもちゃんとしっかり楽しめてたよな〜と。

 情報力よりも妄想力をもっと大事にしたいなと思った花見の帰り道なのでした。